“「囚人みたいに人を番号に還元するのではなく、個性を尊重しましょう」というのは、それが有効に機能する政治的場面はあるだろうけど、結局は過渡的なことでしかない。むしろ本当に必要なのは、自分を識別番号ぐらいで見ておいて、あとは自分の置かれた場所の分節をこそ鬼気迫るディテールで行うことだ。むしろ、そのような分節の場所としてみずからを過程化すること。 ▼ドゥルーズやニーチェが「意味ではなく強度」と言ったのは、そういう「分節の強度」だったはずだが、私たちは「強度」を、嗜癖的な意味でしか理解しなかったんじゃないのか。”